碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

眠れない日々

じいちゃんが死んで店を畳んだ後、作業場だった場所を改装し私の部屋を作って貰った。

学習机を置き、自分だけの場所が出来てとても嬉しかった。

夜はそこに一人で布団を敷いて寝るようになった。

 

ある雨の夜。

窓の庇に当たる雨音を聞きながらうつらうつらしていると、雨の音に混ざって、足音が聞こえてきた。

それは数人の足音の様に聞こえた。

私は夢心地で「隣の家に誰か来たのかな」くらいに思っていた。

私の部屋の窓は隣の家の私道に面していたからだ。

しかし、その音は窓の横を通らずに、山の方に上がっていくような気がした。

山のほうにはお寺があるので、「ああ、お寺に向かったんだ」と思って、そのまま眠ってしまった。

 

それから又、雨の日の夜に同じ足音が聞こえた。

その日は何故かまだ眠っていなかったので、前回よりもはっきりと聞こえた。

その足音の主は、全員がブツブツ何かを言いながら通り過ぎていった。

 

次の日、祖母にその話しをしたら、「そがん時間にお寺にだい(誰)が行ったっちゅ?、夢ば見たか、気のせいたい。そいか他の家ん人やろ」と言われた。

確かにお寺に行く道は、お寺に曲がらなければもっと上まで民家があり、人が住んでいるため、何かの用で通っただけかも知れない。

私は何か違和感を感じていたが、祖母の意見になるほどと思い、忘れてしまった。

 

雨が降らない日は足音はしなかった。単に私が気が付かなかっただけなのかも知れないが、何となく雨の日だけ聞こえる音として認識していた。

それから暫くして、雨の日が続いた。

私は早くに寝ていたが、ある日何かの拍子に目が覚めた。

そうすると、あの足音が聞こえて来た。

 

以前聞いたときよりも更にはっきりと聞こえ、足音に混ざり、何かを叩く音と、念仏のようなものを唱える声が聞こえた。

足音は一定で、「ザッ、ザッ、ザッ」と「ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ」が混ざった様な音がした。

私は足音に気が付いた時から感じていた違和感の理由に気が付いた。

家の前も、家の前からお寺に上がる道もアスファルトで舗装してあるので、砂利を踏むような音はしないのだ。

それなのに、近づいてくる足音は砂利道を踏んでいるような音だった。

 

隣家に入る私道なら舗装されていないため、そういった音がするかも知れない。

それで最初に聞いたとき、隣家に行くんだと思ったのだ。

「これは何かおかしい」と思った途端怖くなった。

私は布団にもぐり、足音が遠ざかるのを待った。

足音が遠ざかっても、戻ってくるのではと不安になり、その日はよく眠れなかった。

 

次の日朝、祖母に夕べの話しをした。特に、砂利の音がするのはおかしいと訴えた。

祖母は少し考えた後、「今度足音のしたぎ、お経ば唱えんさい」と助言してくれた。

私は素直に「わかったばい」と頷いた。

 

その日の夜も雨だった。

私は寝ていたはずなのに、やはり目が覚めてしまった。

まるで、誰かに起こされたような気がした。

なんで目が覚めたんだろうと思っているとやっぱり足音が聞こえて来た。

 

私は祖母に言われたとおり、布団の中でお経を唱えた。

「かんじーざい、ぼーさつ、ぎゃーじん、はんにゃーはーらーみーたー」と唱えながら足音が遠ざかるのを待った。

足音は念仏を唱えながら、家の前を通りすぎ、山に向かって遠ざかっていくはずだった。

しかし、一番足音が大きくなったとき、足音が止まった。

どうやら家の前で止まったのだ。足音は止まったが、念仏は聞こえていた。

 全員が窓の外で、こっちを見ているような気がした。

 

私は益々怖くなり、耳を塞ぎ、大きな声で唱えた。

しかし、耳を塞いでいるのに、念仏の声が聞こえる。

私は布団の中でパニックになりそうだった。

「ぎゃーてーぎゃーてーはらーみーた」と早く通り過ぎて欲しいと思いながら必死で唱えた。

そのうち、気が付くと念仏は聞こえなくなっていた。

私はまだ口の中でお経を唱えながら耳を澄ました。

外は雨が庇を叩く音しかしなかった。

誰の気配もしなかった。(そもそも人の気配を感じていたわけではないはずだが)

布団をかぶって辺りを窺いながら私はいつしか眠っていた。

 

次の日祖母に逆効果だったと怒って伝えた。でも祖母は何故か笑って、

「そいでよかと、また来たらくさ、そがんしてお経ば唱えっとさ、そいぎ、そんうち来んごとなっけん」と恐ろしい事を行った。

「また来っと!もうえすかとば(怖いんだけど)」と抗議すると、

「なんも怖かこた無か、多分お遍路さんやろう。悪かもんじゃなかけん大丈夫たい。そいけん、ちゃんとお経ば唱えんばいかん。ちゃんと唱えんぎ、もっとえすか事になっど」と脅すように言った。

「もっとえすか事!?どかん事?」と聞いたが、「そりゃ解らん」と暢気に笑った。

 

眠れない私にとっては冗談じゃないという気持ちの方が強かった。

「そーだ、起きなければいいんだ」と子どもながらに思ったが、雨の日の夜は何故か必ず目が覚めて、そして私が起きたのを待っていたかのように足音はやってきた。

段々怖さは無くなっていったが、目が覚めて暫く眠れないのが嫌だった。

 

そのうち、夜半から雨が降っていると「あー今日も来らすとかぁ」と思うようになっていた。

 

そうして何回の雨の夜を過ごしただろう。ある日、雨だったのに、朝までぐっすり寝ていて、目が覚めたとき「あれ?雨やったとに来んやった」と思った。

祖母に「昨日は雨やったとに、来らっさんやったば」と伝えると、「気が済んだとやろ」と言われた。

私は何が何だかわからなかったが、「もう来ない」と言うことが解ってホッとした。

 

大人になって父にこの事を話した。そうしたら父は「そういえば、昔あの辺りには裏遍路があったからな~」と教えてくれた。

裏遍路とは、病気とかで普通の偏路ルートを往来出来ない人たちが、別のルートでお遍路をする事らしい。

私たちが住んでいた田舎にもそのルートがあったと聞いた事があると父は教えてくれた。

なぜ雨の日だけなのかと聞くと、父は、「これは想像だけど、きっと雨の日の夜に何かトラブルがあって、思いを遂げられなかったんじゃないか?」と言った。

「それじゃ、なんで家の前で念仏唱えて気が済んだって事になったの?」と聞くと、

「だってさ、家には弘法大師の曰くつきの像があったじゃないか。お前のお経でそれに気づき、それをお参りして気が済んだんだろう」と言った。

私は「その想像合っていると思う、そしてばあさん、知っていたんだ、知っていて、私にやらせたな」と愕然とした。

父は「してやられたな」と笑った。

 

あれから何年も経つ。今でも、夜中に雨が降っていると何処からとも無くあの足音が聞こえるような気がする。

そして、怖いような、懐かしいような気持ちに包まれ、雨音を聞きながら眠りにつくのだ。