碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

匂いの記憶

私の子どもの頃の生活は、ちょうど映画の「三丁目の夕日」のような生活だった。

あの映画は東京オリンピック前の高度成長期で、1960年代の東京の話だったが、田舎は都会より10年ほど遅れていたので、小学生の頃の生活と映画がちょうど同じ感じだと思っている。(ああ、歳がバレる)

都会ではないので、家々の間隔は広く、路地なんてものは余り無かったが、「三丁目の夕日」から感じる町の匂いが似ているのではないかと思う。

 

私の家の風呂は長いこと薪だった。

風呂焚きは私の仕事で、中学1年頃までは薪を割ったり、石炭をくべたりしていた。

かつて炭鉱があった町なので、石炭を掘った後の「ぼた山」なるものがあり、その「ぼた山」には商品にはならない石炭が打ち捨てられていた。

それを時々拾いに行って薪と一緒にくべるのだ。

小さい頃はなんの疑問も持っていなかったが、大きくなるにつれ、周りの家が石油やガスの風呂に変わっていってからは、薪の風呂がとても恥ずかしかった。

やっと石油になった時は、風呂焚きの仕事から解放された喜びと、他の家と変わらなくなった事で凄く嬉しかった事を覚えている。

 

でも、夜暗くなってから、火の様子を見るために外に出て、ボーっと火を見詰めたり、ついでに星を仰ぐことは無くなってしまった。

 

家の台所には竈があった。

竈は薪と木炭を使っていた。木炭はじいちゃんのこだわりで、ちょっと遠いところまで仕入れに行っていたらしい。

昔は竈でご飯を炊いていた。しかし、じいちゃんが死んでから直ぐに炊飯器を導入し、竈は使われなくなってしまい、いつしか竈自体も無くなってしまった。

井戸も家の中にあった。井戸は簡単に塞ぐことが出来なかったのか、家を壊すまではあったらしい。

 

魚は必ず七輪で家の外で焼いた。

冬の終わりには田んぼで「とっこ積み」を燃やし、灰を田んぼに撒いた。

 

町は一年中、どこからか何がしかが燃える匂いがした。

 

木造の家の外壁や、板塀にはタールを塗っていた。木が腐るのを防ぐためだ。

そのタールの匂いはアスファルトの道路を作る時と同じ匂いだ。

 

初めて家の前の道がアスファルトになったとき、綺麗で、嬉しくて、道路の上を転げまわった。

寝そべると、お日様とタールの匂いがした。

 

そんな匂いが「三丁目の夕日から」漂ってくるような気がするのはきっと私だけかも知れないが、テレビで再放送を見るたびに、郷愁に駆られてしまう。

 

いまでも道路工事現場の横を通り、アスファルトの匂いがすると懐かしくなる。

 

私に限らず、人の記憶は様々な匂いと共に記憶され、匂いと共に呼び覚まされると言われている。

匂いで風景を思い出し、風景で匂いを思い出す。

 

今、東京も金木犀の香りで満ちている。

東京生まれで東京育ちの娘でさえ、「秋だね~」と言う。

小さい頃からキャンプや海水浴や旅行に連れ出し、出来るだけ自然と触れ合えるように育ててきたし、色んな風景と匂いを記憶している娘だが、それでも私が感じている匂いの数には適わないだろう。

私は結構、鼻には自身があるのだ。

 

娘を見ていると、便利になった分、人間の五感が鈍くなっていくんだろうなと、老婆心ながら残念に思ってならない。