碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

棟上とビッキ

びいま友人が家を建てている。来月には完成するらしい。
人の家なのにとても待ち遠しい。東京に家を建てるというのは凄いことだと思う。
家を建てると言う事は最大の夢だ。娘でさえ、「宝くじが当たったらー、私の部屋はこんな風にして・・・」などと、時折妄想に捕り憑かれる。
古今東西、新築の家と言うのは憧れの的だ。

 

子どもの頃、みっこちゃん家が建て増しをする事になった。
元々大きい農家だったが、母屋の一部の改装とともに、二階を建て増しするそうだ。
私は毎日の様にみっこちゃん家の普請の様子を見に行き、大工さんの手元を眺めた。
木の匂いが充満してそれだけで幸せな気分になった。

 

ある日、祖母が「明日はみっこちゃん家の棟上やっけん、朝から行くけんね」と言われた。
「棟上てなんね、なんでかあちゃんが行くと?」
「棟上てゆうたら家の骨組みが出来上がるとばゆうと、そん時は餅ば撒くけん餅つきの手伝いやらご馳走やら作りにいくとばい」と説明してくれた。
餅とご馳走と聞いて私は喜んだ。田舎では葬式も餅つきも近所のおばちゃん達が集まって行う。
みっこちゃん家は大きな農家だったので、年末はみっこちゃん家で餅つきをするのが恒例だった。
しかし「棟上」という行事は始めてだった。

当日は手伝いに行く祖母と一緒に朝早くから出掛けた。
もち米を蒸かし、耕運機のエンジンを利用した餅つき機で搗き、おばちゃん達が総出で餅を丸める。
年末にはあんころ餅も作るのだが、今回は白餅だけだそうだ。
私は蒸したてのもち米が大好きで、蒸篭の端にくっついたもち米を拾って食べ、餅を丸めるのを手伝った。

「餅はこまく丸めんしゃい。今日は人の沢山来っけん、足らんごとなるけんばい」と言われみっこちゃんと二人せっせと小さめの餅を沢山丸めた。
「こいどがんすっと?」とみっこちゃんが聞くと、「夕方、モリちゃん(みっこちゃんのお父さん)が屋根から撒かすとばい」と教えられ
二人で顔を見合わせて驚いた。
出来上がった餅は大方固まった頃に一つづつ紙に包まれ、おひねりの山が出来上がった。

 

午後になり、あらかた準備が整ったので、おばちゃん達と遅いお昼を取ることになった。
座敷にはご馳走の準備がしてあったが、私達は台所と土間続きの食卓でご飯を食べた。
ほぼご馳走と同じような料理が並べられ、から揚げやフライがあった。
特に目を引いたのは足先にアルミホイルが撒きつけられた唐揚げだった。
「こい食べてよかと?」とみっこちゃんが聞いた。
「よかよ、食べんしゃい。唐揚げばい」と言われ、そのテレビでしか見たことないようなお洒落な唐揚げを二人は食べた。
唐揚げはとても美味しかった。二人とも「おいしかねー」を連発しながら2、3本ほど食べたとき、おばちゃんが言った。
「そがん美味しかね、そりゃそうたい、鶏肉より高っかとやもん」
「え、鶏肉やなかと?なんの肉ね」祖母はそう問う私にニヤニヤして、「アルミホイルば取ってみんしゃい」と言った。
アルミホイルを取ると見慣れないものが目に飛び込んだ。小さく開いた足だ。
「あ、こいビッキやなかと」とみっこちゃんが叫んだ。
「ほんなごて、ビッキんごた、こい何ね、ビッキね」と私も驚いた。
祖母は笑いながら「ビッキたい、食用蛙ばい」と言った。そして骨を持ったまま愕然としている二人に、
「今は蛙の方が高っかとば、昔は我がで(自分で)獲って食べよったとに」と教えてくれた。
「ほんなごてね、よう食べよったたい」と皆が頷きあうのを見て、
最初は「気持ち悪い」と思ったが、蛙を食べるのは普通の事で、今では珍しい食べ物なんだと気づくと「やっぱいおいしかね」と言い合った。
これが私の初めての蛙を食べた経験だった。

 

夕方前になって、大工さんたちはいつもより早くに作業を終了した。
外に出ると近所の人が大勢集まっていた。
こんなに大勢の人が集まるのは、お祭りくらいだ。
私もみっこちゃんと一緒に外に出て屋根の上を見上げた。

みっこちゃんのお父さんが大工さんと一緒に二階の屋根に登ったところだった。
そして、皆で作ったおひねりになった餅を掴み、盛大に投げた。
集まった人たちは我先にと餅を受け取り、拾い、みっこちゃん家の庭は大騒ぎだった。
庭にあった鶏小屋の中のチャボも大騒ぎだ。

私はみっこちゃんのお父さんを初めてかっこいいと思った。

 

棟上は無事に終わり近所の人たちはそれぞれ餅を貰って帰った。
祖母もいつの間にか割烹着の裾を持ち上げた中に餅を拾っていた。
「こいは明日お汁粉にすっけんね」と言われ私は棟上とはなんと素敵で美味しい行事なんだと思った。


しかし最近は棟上で餅を撒く風習は見かけなくなった。
都会では尚更だ。
大工さんたちに出前の寿司とお酒をご馳走して終わりらしい。
もしも、私が家を建てる事があったら、古式ゆかしく餅投げをしたいと思うのだが、それは夢また夢だ。

新築の家を建てている現場に行き会うとつい「地鎮祭はしたかな、棟上はいつかな」

と思ってしまう。

そして、もう味は忘れてしまったが、時々、みっこちゃんと初めて食べた蛙とそのとき見た小さな足と、みっこちゃんのお父さんの誇らしげな顔を思いだす。