碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

蛙と言えば・・・・

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ブログを書くようになって一つの事柄から別の記憶が呼び起こされる。不思議だ。
続けたらボケ防止になるななどと我ながら感心している。

蛙と言えば思い出した事がある。
小学校の理科の時間で蛙の解剖をやることになった。

「来週は蛙の解剖ばすっけん、班で蛙ば持ってくるごと」と先生が言った。
「おー、おいね、捕まえっと得意かばい」と自慢する男子や、「捕まえきれるかわからん」と言う女子などがいた。
そこで手を挙げて発言したのがN君だ。
「先生、おいが皆の分捕まえてくるばい、うちの田んぼにようけおるけん」と言った。
普段は大人しいN君が自分から手を挙げて皆の分の蛙を用意すると宣言したことに先生は驚き、又喜んで、
「そいぎ、N君に頼もうかな、皆良かったたい、N君にお礼ば言うごと」と褒めた。
皆は口々にお礼を言った。
N君は照れくさそうに、「まかせんしゃい」と頭を掻いた。

次の週、いつも早めに教室にいるN君がいつもより遅かった。
仲のいい男子が「どがんしたとちゅ、休みやろか」
「いや、蛙の重たかとやなかか」などと話しをしていた。

ホームルームが始まる少し前、N君が教室に来た。お父さんと一緒だ。
お父さんは大きなポリバケツを重たそうに運び込んで、帰って行った。

ポリバケツは普段は農薬を溶かす為に使われるような黄色の大きな物だ。
都会では水色のゴミバケツくらいの一回り大きい位の大きさを思い浮かべて欲しい。

N君は誇らしげに、「重かったけん、父ちゃんに車で運んでもろうたとばい」と言った。
男子が蓋を開けると、そこには予測どおり蛙が入っていた。
ウシガエルと言われる大きな蛙だ。

ホームルームの時間になり先生が入って来た。
「先生、蛙のよんにゅか(沢山)ばい」と誰かが言った。
先生は教室の後ろまで来てバケツを覗き込み、一瞬怯んだ様に見えたが、
「N~、こがんは要らんばい。班に一匹で良かったと」と先生は笑いを堪えながら優しく言った。
N君はちょっとびっくりした後、「おい、一人一匹て思いよった、昨日一日頑張って獲ったとに」と哀しそうに言った。
先生は隣のクラスに蛙が必要か聞きに行った。幸い隣のクラスは明日が解剖の日だったのでまだ準備していないとの事で、
私のクラスと隣のクラス併せて15匹ほどの蛙は使うことになった。
先生はバケツやら、水槽やらをかき集めて、解剖用の蛙を選びだし、残りは逃がしてくるようにN君に言った。
N君は残念そうに「はい」と答え、数人の男子達と蛙達を学校の裏の田んぼとの堺になっている用水路に捨てに行った。

蛙は全部で50匹ほどいたらしい。
バケツはいっぱいで、下のほうの蛙は既に死んでいるものもいたと手伝った男子が言っていた。
それでも解放された蛙は元気よく田んぼに帰って行ったと言う。

解剖の時間までN君はしょげていたが、解剖を始める前に先生が
「頑張ってくれたN君に改めてお礼ば言うばい」と皆で声をそろえて「N君ありがとう」と言い、
「そして、命をくれる蛙と、死んでしまった蛙に合掌」と手をあわせた。

近年では解剖はやらないらしいが、私が子どもの頃はフナの解剖と蛙の解剖を経験している。
勿論フナも自分達で調達した。ホームルームの時間を使って、近所の川に釣りに行った。
釣れたかどうかは記憶に無いが、解剖はした記憶がある。
旦那は都会の小学生だったためか、区の施設まで行き、ネズミの解剖をしたことがあると言っていた。
ネズミは小学校で行うには衛生面的にも大変なのだろう。保健所のような所だったと言っていたが、流石都会は違うなと思う。

理科の時間が減らされていて、解剖にも賛否両論ある昨今だが、私達はこうして命の大切さを学んだような気がする。

ちなみに食用カエルはウシガエルだ。田舎には沢山居た。モーモー鳴いていたっけ。
しかし、解剖が唐揚げの後で良かった。解剖が先立ったら唐揚げを吐き出してしまったかもしれない。

カエルを食すと言うと、ゲテモノ喰いみたいに思われるが、カエルやヘビの方が古来から食されていて、
実は豚や牛を食べるほうが、150年くらい前まではゲテモノ喰いと言われていたのだ。

花札の一枚にもなっている小野 道風(おの の みちかぜ)の柳とカエルの逸話も、もしかしたら
「あー腹減ったなぁ」なんて最初は思ったのかも知れない。