碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

紅葉

先日、東京の奥にある秋川、桧原村でキャンプをした。
紅葉には少し早かったが、夜は冷え込み、焚き火を囲んで延々飲んで食べると言うのはキャンプならではだ。

 

保育園に通っていた頃。保育園の庭に紅葉した葉っぱが沢山落ちていて、それを使ってままごとをした。
赤や黄色の葉っぱはどれも綺麗で、私は夢中になって集めた。

葉っぱを沢山集めて、その上にバサッと倒れこんだり、両手いっぱいに抱えて、空に振りまいてみたり。
日に翳してみたり。楽しくて飽きなかった。

そんなある日、遊んでいる途中で顔や腕がとても痒くなった。
それはあっという間に広がり、全身に発疹が出来たため、保母さんに送られて家に帰った。
祖母は赤くはれた私の顔を見るなり、「こりゃ漆じゃなかね」と言い、送ってくれた保母さんに園庭に漆の木が無いか確認するように頼んだ。

漆は園庭では無く、山に生えていた。保育園の入り口近くの山を切り開いて駐車場にしている場所がちょっとだけ崖の様になっていて、
その上に漆の木があり、葉っぱを駐車場に散らしていたのだ。

私は園庭の色んなところから葉っぱを集めていたので、その中に漆が混じってしまったらしい。

祖母は早速、例のまじないで全身を吹いた。

でも急な事だったので、精進していない。
それでも少しはマシだろうと言い何度も私の顔や手に口に含んだ水を吹きかけた。


以前も書いたが私はそれが嫌いだった。
全身の痒さと吹きかけられた水の臭さで気分は最悪だったことを今でも覚えている。

 

その夜は高熱を出した。
祖父は病院に連れて行ったが良いのではと言ったらしいが、近所には夜中に診てもらえる病院は無い。
救急車を呼んで遠くの町まで運ばれるしか夜間診療はできないのだ。
祖母は救急車を呼ぶまでも無いと判断し、その夜祖母は寝ずの看病をしてくれた。

 

翌朝高熱では無くなったが、発疹は酷くなり、火傷の様な水ぶくれが出来た。
水ぶくれが潰れて、その汁が綺麗な皮膚に付くとそこも発疹が出来た。
そのため、元気にはなったが遊ぶことも友達に会うことも禁じられ、数日は家から出してもらえなかった。

 

保育園の先生がお見舞いに来てくれた。

漆にかぶれた原因は保育園にあると言って、菓子折りつきで謝りに来たのだ。
祖母は「よくあることやっけん、そがんせんで良か」と言いながら、先生が持って来た菓子折りを遠慮していたが、最後は受け取っていた。

先生が帰った後、「まんじゅう屋に菓子ば持って来るった、気が利かんね」とブツブツ言いながら仏壇に供えていた。
私は日頃から饅頭じゃないお菓子に憧れていたので、直ぐに食べたいとせがんだ。
いつもなら数日は仏壇にお供えするのだが、全身を腫らしている私を不憫に思ったのか、直ぐにお菓子を出してくれた。

菓子折りは水羊羹だった。
祖母は「なんね、季節はずれも良かとこたい、それにお寺のくせに、ケチくさかね、お中元の残りモンやなかとね」と更に文句を言っていたが、
熱っぽい私には冷たい水羊羹は食べやすかった。
「ユミが食べやすかごと水羊羹にさしたとやろ」と祖父に言われ、

祖母は「ふん、どがんか判らんたい」とそっぽを向いた。

 

それから水疱がかさぶたになって、保育園に行くようになっても、祖母による治療は続いた。
とにかく毎日が拷問だったのを覚えている。

 

しかし今考えると私を治療する間は祖母は肉も魚も絶っていたのだからありがたい話だ。
その治療が効果あったのかどうかわからないが、私は跡も残らず綺麗な肌に戻った。

 

漆にかぶれた以外にも、水疱瘡や麻疹に罹った時も祖母の治療を受けた。
勿論そのたび拷問の様に感じていたのは言うまでも無い。

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漆の紅葉した写真を見て、「これこれ」と私も思い出した。
漆の木の葉っぱはとても綺麗だ。
漆に触ってもかぶれない人がいると聞くが、かぶれた場合の辛さは尋常じゃないので、写真を見て覚えたほうが良いと思う。
と言っても、今はちゃんとした医療機関で、ちゃんとした薬で治療するのだから、そんなに恐れることは無いかも知れない。

 

私は今でも、湿疹が出来た時に「あー良く吹いてもらったな」と祖母を想い出し、届くところなら、呪文はわからないが、息を吹きかけてみる。
そのたびに、「あの呪文をちゃんと教われば良かった」と少しだけ後悔するのだ。