碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

ブッシュ・ド・ノエル

世の中はハロウィンが終わると、年末に向けて徐々に動き出す。
早いところは11月早々からクリスマスイベントの案内が始まって、なんだか「一年が早いなー」って気にさせられる。

クリスマスと言えば思い出すことがある。

私は子どもの頃祖母の事が余り好きではなかった。
理由は色々あったが、とにかく厳しかったからだ。

食事の時の作法は特に厳しかった。

祖母は嫁ぎ遅れたがコックの祖父とお見合いで最初の結婚をした。20歳代後半だったらしい。
祖父は当時、海軍で、将校専用の食事を作るフランス料理のコックだったらしい。

田舎の半農半漁の貧しい家で育った祖母はフランス料理のコックなんて嫌だと言ったそうだが、お見合いを断る事が出来なかったらしい。
祖母は向こうが気に入ってくれたから結婚したと言っていたが、祖父は彫りが深く、現代風のイケメンだった。

結婚当初は軍が与えてくれた宿舎で、昼間はお手伝いさんがいるのでする事は無く、夜は食事だ映画だと出歩く毎日だったらしい。
天皇陛下に食事を出した事があった祖父は当時はかなりの地位だったと言うのが祖母の自慢だった。

子どもができてからもその生活は変わらず、四人の子どもに恵まれた。
しかし、終戦と共に祖父は職を失い、不幸は重なるもので、結核になり入院。そして私の父が小学校に上がったばっかりの頃他界したということだ。

祖母は乳飲み子を抱え途方に暮れたらしいが、幸いすぐに再婚話があり、私の知るじいちゃんと再婚したらしい。
それまでお手伝いさんが居るような生活から小さい饅頭屋を手伝いながら子育てをする生活になったが、元々貧乏の家の出だったので苦労ではなかったと言っていた。

しかし、祖母は先夫の時に食事のマナーで恥ずかしい思いをしたらしく、子ども達に厳しくなったらしい。
私に対しても「外にでて恥ずかしい思いはさせたくない」と思ったらしく厳しく躾けられた。それは私から娘にも受け継がれている。はず。

小学校の頃のある日、友達のお母さんの自慢話を聞いて私は「ハンバーグが食べたい」と祖母にねだった。
祖母は「ハンバーグはよう作らん(得意じゃない)」と言いながらも作ってくれた。
しかし、席について驚いた。ちゃぶ台には洋食器に乗ったハンバーグやスープ、ご飯があり、箸は無く、ナイフとフォークとスプーンだった。
家にこんな食器やフォークなどがあった事にも驚いたが、私はその時洋食のマナーを知らなかったのでどうやって食べるのか困った。
祖母は前のじいちゃんと暮らした時に身に着けたらしく、器用にハンバーグを食べていた。
ナイフとフォークとスープスプーンの使い方を教えてくれたが、私はお腹が空いているのに食べるのに時間が掛かってくたびれてしまった。

祖母は「ハンバーグは洋食の練習するとに良かけん、こがんした。食器も出したけん、いつでんハンバーグやらステーキやら作るばい」と言った。

私は二度とハンバーグが食べたいと言わなくなった。

又、こんな事があった。

お母さんがクリスマスイブにケーキを焼いてくれると自慢していたクラスメイトに何故か対抗して、「うちのかあちゃんでん作りきらすと」と豪語し、クリスマスケーキをねだった。
祖母は「家は仏教徒やっけん、クリスマスは祝わんで良かと、そいにケーキば作るって面倒くさか」と言った。
それでも、「簡単かとで良かけん」と頼む私に根負けして作ってくれた。今思えばケーキは面倒だから無責任な事を言ったと思う。
遊びに行っても、ケーキの事が気になって仕方なかった。
もちろんみっこちゃんに自慢した。みっこちゃんは「良かったたい。ユミんとこの婆ちゃんはなんでんしいきらすね(出来る)」と一緒に喜んでくれた。

そうして、ワクワクしながら夕飯の食卓についたが、出てきたケーキを見て私はがっかりした。
予想したのは丸くて白い生クリームとフルーツやサンタの砂糖菓子が乗ったケーキだったが、祖母が作ったのはロールケーキと、小さく切ったスポンジが飛び出た形に何かでコーティングした茶色いケーキだった。
「なんこい、こいはクリスマスケーキじゃなか!」と私は抗議したが、「これが正しかクリスマスケーキたい、文句あんなら食わんでよか」と叱られた。
私は渋々そのケーキを食べたが、友達になんて言おうかと心配した。

次の日は終業式で、クリスマスイブを祝った子の自慢話が飛び交った。そのクラスメイトは私の所に来て、クリスマスケーキはどうだったかを聞いてきた。
私は祖母が作ったクリスマスケーキを説明し、それが正しいクリスマスケーキだと祖母に言われたと説明した。
しかし、そのクラスメイトは「可笑しか、そがんケーキ、クリスマスケーキじゃなか」と囃し立て、「あんたのかあちゃんは本当は婆ちゃんやっけん知らっさんとやろう」と馬鹿にして言った。
私は悔しかった。なぜ自分は普通の家庭ではないだろう。なんで私にはお母さんが居ないのだろう。
事あるごとに思っている疑問と不満で泣きながら家に帰った。でも、家に着く前に泣き止み、そのことは祖母には言わなかった。

三学期になってクラスに入ると、クリスマスケーキで意地悪を言った子が「おはよう、あけましておめでとう」と言って来た。
私は二学期の終業式の事があったので、「おはよう」とそっけなく言った。
その子は「あのばい」と言ってもじもじしながら私の席から離れようとしなかった。私は又意地悪を言われるのかと思って「なん」とちょっと怒った様に顔を見た。
その子は「クリスマスケーキの事ばってんくさ」と言いにくそうに切り出した。
私は忘れていたのに何を蒸し返すんだと思って相手の言葉を待った。多分かなり不機嫌な顔をしていたと思う。
「ごめんね、婆ちゃんやっけん知らっさんとか、クリスマスケーキじゃなかとか言うて」と謝ってきた。
私はびっくりし、意地悪を言われると構えていたので、肩透かしを食らった気分だった。
その子の説明によると、その子は家に帰ってその話しをしたらしい、
そうしたら母親に「それはブッシュ・ド・ノエルと言うクリスマスケーキで、ユミちゃんとこの婆ちゃんは正しいし、それを知っている婆ちゃんはハイカラだ」と言われたそうだ。
そして、「婆ちゃんやっけん」と意地悪を言った事を怒られたそうだ。
私はにっこりして「良かよ、気にせんで」と言い、その子はほっとした顔をして離れて行った。

私はその話しを聞いて嬉しかった。
家に帰って祖母にその話しをして、クリスマスケーキじゃないと言った事を謝った。
祖母は「ふん、おいはあれしか知らんだけたい」と言って、コックの祖父が作ってくれて、二人で食べた時の話をしてくれた。
戦況が良く、食料があった頃の祖母の裕福な生活に私は憧れ、いつも勝手な想像をしていた。
私の想像の中では、写真でしか見たことの無い祖父と祖母はいつか見た映画の様な二人だった。

クリスマスの頃になり、ブッシュ・ド・ノエルを見ると何故か想像の中の祖母と祖父がお洒落な格好をしてクリスマスの街を歩く、まるで白黒映画の様な光景を思い浮かべる。