碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

田舎のトラップが尾を引いた話し

稲刈りの後の田んぼは子ども達のかっこうの遊び場だ。
広い田んぼを使ってキャッチボールをしたり、バドミントンをしたり、凧揚げをしたりして飛び回って遊んでいた。

 

冬休みの注意は「とっこ積みに登らない事」や「とっこ積みを燃やさない事」と言うのがプリントに書かれていた。
田舎ならではの注意事項だ。

 

「とっこ積み」というのは刈り取って、米を取った後の藁を家の形に組んだものだ。

私も良く、途中の藁を抜いて、くぼみを作り、暖を取ったりした。
藁の中は結構暖かいのだ。
藁を抜きすぎると崩れてしまうので、崩れるかどうかの所でSTOPするのがなかなか難しい。
まるでジェンガの様だったんだなと今気が付いた。

 

この「とっこ積み」は春になると燃やして灰にし、田んぼに撒くための物だと記憶している。
だから万が一燃やしてしまっても、なんとなく「ま、いっか」という考えがあった。
そのためか、時折本当に燃やしてしまう者が出てくるのだ。

 

よく「九州は暖かいでしょう?」と聞かれるが、阿蘇より下は暖かいかもしれないが、阿蘇より北にある県は以外と寒い。
風は冷たく、時には雪も降る。毎朝、霜柱が立ち、子どもは鼻水を垂らし、手足は霜焼けになるくらい寒いのだ。

 

それでも昔の子どもは外で駆け回っていた。
中には一年中半そで半ズボンの男の子達も居た。
しかし、稲刈り後の田んぼで遊ぶには半ズボンはとても危険だ。

 

稲を刈った後は稲株と言うらしいが、鎌で切った後が斜めに切り立っていて、うかつに乗ると薄いズックの底くらい貫通する場合がある。
私は体に刺さった事は無いが、切り傷や擦り傷を作った事はある。
又、足を取られて捻挫する事はざらだ。

 

それでも広い田んぼは魅力的で、毎年転びながら、時には血を出しながら遊んでいた。

しかし、田んぼには稲株よりもっと危険なものが潜んでいる場合がある。


ある、冬の寒い日、私はみっこちゃんとバドミントンをするのに田んぼに行った。
一番広い田んぼはすでに、隣の集落の子ども達が占領していて、三角ベースをやっていた。


バドミントンは余り場所を取らないので、私達は一段上の田んぼで遊び、時折三角ベースを見学したりしていた。

 

隣の集落の子ども達は男女合わせて8人くらい居たと思う。
同級生もいたし、あまり知らない子も居たが、みんな仲良く遊んでいた。

 

同級生の中でJちゃんと言う女の子が混ざっていた。その子は普段あまり男の子達と遊ばなかった子なので、珍しいなと思っていた。
多分、三角ベースをするのに人数が足りず借り出されたんだろう。
普段男の子と遊ばないJちゃんは当然外野を守っていた。

子ども達は田んぼの大きさを承知していて、上の段に入ったらホームラン、横はファールなど独自のルールを決めていた。
だからむやみにボールを追いかけたりしない。追いかけても稲株に足を取られて危ないし、田んぼから落ちる可能性もある。
ボールの軌道を判断しながら追いかけるかどうか決めるのだ。

 

でも、Jちゃんは違った。普段田んぼで三角ベースをしないから、打ちあがったボールを見ながら一生懸命追いかけた。
わたしとみっこちゃんは「あれはファールばい」と判断したが、Jちゃんは判断が付かなかったのかもしれない。
田んぼの縁まで追いかけた。

 

そこでJちゃんに悲劇が起こった。
三角ベースをやっていた田んぼの端で、上の段の田んぼの直ぐ下で、隣の田んぼとの接点になっているところに、ちょっとした平らになった場所があった。
そこにJちゃんが立ったとき、Jちゃんの足元が崩れ、Jちゃんの下半身は見えなくなった。

 

そこは肥溜めだった。Jちゃんは蓋をした肥溜めの上に乗ってしまい、腐っていた蓋を踏み抜いてしまったのだ。
「きゃー」とも「ぎゃー」とも聞こえた悲鳴で私達は声のした方にすぐに駆け出した。
そして、Jちゃんが、肥溜めから出ようとしているのをみて、足がすくんでしまった。

他の子ども達も一斉に駆け出したが、何が起こったのかを一瞬で理解し、皆同じように立ちすくんでいた。


肥溜めは暫く使われていなかったと思われる。

そこに肥溜めがあることを皆知らなかった。もちろん私達もだ。
暫く使われていなかったおかげで、本当の肥溜めの様な匂いはしていなかったが、それでも薄っすらと回りに匂いが漂っていた。

 

Jちゃんは「靴の脱げた。でも取りきれん」と皆に懇願の目を向けたが、誰一人助けようとはしなかった。
同じ集落の他の女の子が遅れて駆け寄ってきたが、「だいじょうぶね、怪我せんやったね」と声を掛けるだけで、近くには寄ろうとしなかった。


Jちゃんは「怪我はしとらんばってん、靴のかたっぽ脱げたと、どがんしゅう」と肥溜めの横に立って瓶を覗き込んでいた。
私とみっこちゃんは上の段から「なんか棒でさらってみんね」と助言した。
誰かが棒を持ってきてくれ、Jちゃんは暫く瓶をつついて、なんとか靴を拾うことが出来た。

一見、Jちゃんは泥に汚れただけに見えた。

しかし、なんとなく匂うその匂いは紛れも無く肥溜めの匂いと言う事を示していた。
同じ集落の女の子が「送って行こうか」と声を掛け、その子とJちゃんはトボトボと帰っていった。
送って行くと言っても、その女の子はJちゃんの二メートル斜め後ろを付いていくだけだ。
真後ろだとJちゃんの足跡を踏むことになるので、避けたのだと言う事が遠目でもわかった。

三角ベースをしていた子ども達は気がそがれたのか、それぞれ勝手にキャッチボールをしたり、肥溜めを覗きに行ったりしていた。


みっこちゃんを見ると、目がニヤニヤして笑いを堪えていた。

私はそれまで、Jちゃんが親に怒られるのではないかと心配していたが、
みっこちゃんの顔見た途端笑いがこみ上げて、二人で大笑いしてしまった。
Jちゃんには悪いが、肥溜めに落ちるなんてかなりレアな出来事だ。
二人は暫く笑いが止まらなかった。
他の子ども達も釣られたのか笑い出した。

 

ひとしきり笑ったあと、皆それぞれの遊びに戻り、その日は家に帰って、その話しをしたが、次の日にはもう忘れていた。

 

しかし、次に学校に行ったとき、Jちゃんの悲劇は終わっていないことに気が付いた。
同じ集落で一緒に遊んでいた男子が言いふらしたのか、Jちゃんのクラスの男子全員がJちゃんの横を通る時ジャンプして避けた。
私は同じクラスではなかったが、みっこちゃんとJちゃんは同じクラスだった。

廊下でみっこちゃんに会ったとき、「Jちゃん避けられよらす。男子が酷かとばい」と教えてくれた。
でも私は特に仲が良いわけでも無かったし、同じクラスでもなかったので、どうする事も出来なかった。

Jちゃんに対する男子の態度はどんどんエスカレートしていき、給食の時間に爆発した。
偶々その週はJちゃんは給食当番だった。

男子達は、「Jさんのよそった給食は食べられんばい、肥溜めの匂いのすっど」と囃し立てたらしい。
Jちゃんはとうとう泣き出してしまった。
騒ぎを聞きつけた担任がやって来て、Jちゃんを連れ出し、代わりの生徒に給食の給仕を任せ、その場を納めた。

給食の時は騒いではいけなかったが担任が戻って来ない事を良いことに、隣のクラスはかなり賑やかだった。
もう直ぐ給食の時間が終わるという頃に担任が戻って来て、給食を急いで食べ、片付けをさせた。
いつもなら給食当番以外は昼休みの時間なので、「ご馳走様」をした後は校庭に出たり、中庭で遊んだりとめいめいが好きに遊んでいいはずだが、
そのクラスは昼休みに遊ぶことは許されなかった。

後でみっこちゃんに聞いた話だが、囃し立てた男子全員を立たせ、一人ひとり、自分が肥溜めに落ちたらどんな気持ちか言わせた。
そして、特に庇わなかった女子もキツク叱られたそうだ。
クラス全員でJちゃんに謝り二度としないことを約束させられ、Jちゃんは午後の授業に出てきたそうだ。


そうしてこの件は一件落着したかに思われたが、実は先生の知らないところで、相変わらずJちゃんは横を通る度に飛ばれていた。
男子は無言で飛ぶ。

女子は巻き添えになりたくないために何も言わない。

そんな日々が小学校を卒業するまで続いた。

そして、それは中学校になっても続いた。


中学校は二つの小学校が同じ中学にあがる。
本来なら知らないはずの別の小学校出身の男子も、同じように横を通るたび飛んだ。
もちろんそういった事を全くしない男子も居た。
でも、やんちゃなグループは相変わらず飛んでいた。


いつだか、なぜそうするのか聞いてみたことがあった。

そしたら別の小学校から来た男子は、他の子がやっているからと答えた。

私は昔の事がいまだに尾を引いていることに驚いたが、

「なんも判らんとにそがんことすっと?」とは聞いたが、それ以上は何もしなかった。


Jちゃんと話す機会があった時に男子の態度について聞いてみたが、Jちゃんは「もう面倒くさかけんほっとくと、なんや言うぎ又なんかされるけん」と言っていた。
強いと思った。私なら耐えられないだろう。
黙っている私にJちゃんは「気にせんで良かよ、優しかね」と言ってくれた。
本当は違う。単なる好奇心で聞いただけだ。
私はバツが悪くなり、「そいぎ」と言って早々に離れたが、後味の悪さだけが残った。

冬の田んぼの映像を目にする時、ふとこの事を思い出しだした。
肥溜めに落ちたJちゃんを助けることもせず笑い、

苛められるJちゃんを助けることもせず、傍観していた自分の冷たさ。
好奇心で聞いてしまった後のバツの悪さ。

それぞれ別の高校に行き、私は東京に出たので、その後のJちゃんの事はわからない。
中学の同窓会にも出てこない。
今なら「あん時は偉かったね」と言えるのに。