碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

やってはいけないと言われていることをやった結末・・こっくりさん2

その日以降、私はふとした時に誰かの声が聞こえるようになった。
最初は気のせいだと思った。頭の中で別の自分が答えているのだと思った。
当時は多重人格と言う言葉も知らなかったし、所謂、「自問自答とはこう言う事か」位に思っていた。
だから最初は特に誰かに相談する事も無かった。

どんな風に聞こえるかと言うと、たとえば「あれ、この道だったっけ?」と思った時に「右だ」と答えてくれたり、
ボーっと信号待ちをしている時、信号が変わったからと咄嗟に踏み出そうとしたとき、「止まれ」と危険を教えてくれるときがあった。

私は頭の中で聞こえるその声に次第に慣れていき、自分から質問したりするようになった。
声は答えてくれる時もあれば、全く沈黙する時もあった。
そして、時折意味不明な言葉とも音とも言える時もあった。

私はテストの時に答えが聞けないものかと試してみた事があったが、そういう時は決まって、声は沈黙するのだった。
「使えない」そう私は思ってしまったが、何となく声の主の事が知りたくなった。
声は家に戻ると聞こえなくなるのも不思議だった。

私は一緒にコックリさんをやったNに相談してみた。
「あのばい、あん時コックリさんて、ちゃんと帰らしたと思う?」
「あん時?あん時さ、Mの手ば離したろ?そいけんイカンっち思いよった。何?なんかあったと?」とNも実は不安だったと答えてくれた。
「あれからばい、声の時々聞こえるっちゃん」
「え、気のせいやなか?」と言ったが、真剣な私の顔を見て、
「気のせいやなかとね、そいで何て言わすと?」
「何てって言う感じじゃなし、ちょっと迷った時、こっちとか駄目とか・・・」私は説明が難しいと思った。
Nは「なんそい、便利かた!」と言った。
「そいでん、テストん時は何も言わっさんとさ」とちょっと笑って付け加えた。
「なーん、そいは使えんとね、そいでんその声の通りにしたらおうとる(合ってる)と?」
「大抵はおうとる。でん、違う時もあるとさ」
Nは少し考えて「そい、帰っとらっさんとかもしれん、どがんすると?」
「どがんしーゆか判らんと」
「無視するぎ、そのうちおらっさんごとならんかな(居なくならないか)?」
「そいはわからん。そもそも誰ちゅ?」
「うーん判らんね。暫く様子見たら?ごめん、そいしか言いえんばい」
確かそんな内容の会話だったと思う。私は他の人には言わないで欲しいとお願いし、暫く様子を見ることにした。

声は大きかったり、小さかったり、不明瞭だったり様々だった。
でも最初は一言、二言だったのが、次第に文として聞き取れる様になっていった。

ある日祖母に何気なく聞いてみた。
「コックリさんて知っとう?」
「しっとるばい」
「あれって誰の来らすと?狐の神さん?」そう聞く私に祖母は「フッ」と笑って、
「狐さんなもんか、呼び出す側の力によって色んなとの来ると、狐さんの来るごたんなら大した力ばってん、大概はもっと位の低か霊た」
と言った。
私はそれを聞いて怖くなった。
「位の低か霊ってなんね?」
「大体が動物霊やろうね、神様になりきれんやったとか、成仏しきれんやったとかが、悪戯したりするったい」
「そいぎ、コックリさんで答えらすとて、おうとらんと?」
「おうとる時もあるかも知れんけど、大抵気まぐれやっけんね。なんね、コックリさんばしたとね」
「うん・・・・」私は祖母には嘘がつけないと思って、そう答えた。だが声がする事は言わないで置こうと咄嗟に思った。

「変なかとの来るぎ厄介かけん、せんごと」
「どがん厄介か事になっと?」
「そりゃよう判らんばってん、狐憑きんごとなるかも知れん」
それを聞いて私は益々怖くなった。

狐憑き」の話は小さい頃祖母に聞いた事があった。
祖母曰く、「狐憑き」は低級な狐の霊や狸や人の霊が取り付いて、宿主を操ろうとする恐ろしいもので、
祖母が子どもの頃、狐憑きになった人が近所に居たと言っていた。
周りの人は気味悪がり、その人はお嫁にも行けず、早死にしたと聞いている。
その人の話は何度も聞いていたのだが、大正時代の話で、科学と迷信が半々だった頃だったため、病気なのを「狐憑き」と家族も
本人も思い込んでしまったんじゃないかと祖母は言っていた。
祖母だって「狐憑き」については半信半疑だったのかもしれない。

それでも「狐憑き」は子どもの私にとって、とても怖い話の一つだった。

私は子どもの頃の怖かった気持ちを思い出したが、声の主はそういったものとは違うと何故か思った。
祖母には声の事は黙ったまま、何とか自力で声の正体を知りたいと思った。
でもその事を頭の中で語りかけても、いつも返事はくれなかった。
それ以外の事を聞けば、何かしら返事をくれるのに、自分の正体については明かしたくないと思っているかのようだった。

社会化見学で、湯布院にバスで行った時の事だ。
行きのバスで、私は後ろのほうの席に座っていた。その近くの同じ小学校出身の男子が、
「わいさ、霊感のあっと?」と声を潜めるように聞いて来た。
私は「なん、そい?」と聞きなおしたが、「隠さんで良か、わいのばーちゃんもまじないばさすた、そいけん、わいにもあっとやろうもん」
土地は広いが、有る意味狭い田舎の事だ、祖母のまじないの事を知っている人は居た。
「みっこも言いよったばい、ユミには霊感のあるって」
それに私が体験したことを幼馴染のみっこちゃんは大体しっていた。
だから小学校が同じ子達は、みっこちゃんの言葉に納得したのだろう。
「そがん霊感て、虫の知らせのあったぐらいたい」私は当たり障りの無いような返事をした。
しかし男子は、「わい達、この間コックリさんばしたとやろ、そん後わいの霊感の強うなったって女子の言いよったばい」と言った。
私は驚いた、所詮「内緒」というのはこんなものだ。大抵だれかから漏れる。
確かに私はあの日以来、予言めいた言葉を発した事があったかもしれない、でもそれは頭の中の声が言った事を口に出してしまっただけで、
私自身の霊感が強くなったわけでは無かった。
私は説明に困ったが、自分自身が霊感少女と噂されるのは困るので、頭の中で、(どうしよう)と相談してみた。
答えは(うまくやれ)だった。
悩んだ私は、男子に「あのさ、うちの霊感じゃなしにば、たまに聞けば教えてくれる時のあっと」と説明した。
男子は「だいの?」と驚いて聞いたが、「だいかわからんとさ、そいけんあんまい聞くぎ怖かた?やっけん最近は聞かんごとしとっと」
男子は「そいはコックリさんの居らすとね?」と眉を寄せたが、「コックリさんとは違うと思っとるとばってんね」
男子は更に声を潜めて「そすとんは(その人)は何でん教えらすと?」と聞いて来た。
私は(あ、何かに聞きたい事があるんだ)と思ったので「何でんやなか、出来事は教えらすばってん、人の心とかは教えらっさん」と答えた。
「そうや・・・」と男子はちょっとがっかりしたようだ。
私は「そいにさ、テストの答えとかは教えらっさんばい」と声に力を込めて付け加えた。
これは重要な事だ。霊感を使ってテストを受けたなんて思われたらたまったもんじゃない。
男子は「ふーん、そいぎ、役に立つごた、立たんごた感じたいね」といい、納得してくれたようだった。
私はちょっとホッとして座りなおしたが、男子は思いついたように「そいぎ、これから何か当ててもらわん?」と言い出した。
「え、なんば?」
「うーん、例えば信号とか、次の信号の色とかどがんね」と良い思いつきの様に目を輝かした。
私はどうしようと思ったが頭の中で(やろう)と声が聞こえたので、「良かばい」と答えた。
それから信号が見える前に色を伝えた。時には連続で言う事もあった。
色は次々と当たった。男子はそのたび「おー」と声を出したが、私はこんなの三つしかないから別段凄いとは思わなかった。
それでも男子は喜び、「今度なんか考えとくけん、教えてくれんね」と言った。

こうして中学一年の社会化見学は始まった。
でも不思議な事はこれだけではなかった。

・・・・つづく・・・・