碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

神様のお使い?

幼い頃の事を書いていると益々望郷の念が強くなるのは歳のせいだろうか。
一つの記憶から引きずられて、また一つ思い出した事がある。

中学生の頃、地元の歴史を調べる授業があり、放課後や休みの日に地元の名所に行き、歴史を調べた。
私達の班は「松浦党」の事を調べたと思う。
平安時代から戦国まで地元に居た「戦闘武士集団」といえば聞こえが良いが、まぁ、海賊まがいだと思う。
そういうと非難されるかも知れないが、祖母に聞いた時も海賊と言っていたのだから仕方ない。

その海賊、もとい戦闘武士団の一部の末裔が平戸藩主になったわけだけども、
私達の地元で古くから住む人は殆どがその松浦党の子孫らしい。
かく言う私の祖母もそうだ。昔は家に槍や刀があり、その名残があったらしい。
まあ、本家の場所を考えると多分足軽位の身分だったんだろうと思われるが。

その松浦党に縁のある神社に取材をしに行った時の事だ。
そこには樹齢年百年と言う楠木があって、古い神社だと言う事は知っていた。
でも、小学校の近くだったため、歴史有る神社という認識は無かった。

班で集まり、一通り取材をし、最後に写真を撮った。
誰かがカメラを持ってきていて、カメラを触るなど珍しい時代だったので、交代で写真を撮らしてもらった。

現像が出来上がった頃又集まって、模造紙にレポートを書き上げた。
写真を選んでいると神社を写した一枚に不思議な物が写っていた。

神社の屋根の上に誰かが立っているような白い影があった。
「なんこい!誰が撮ったと?」とカメラの持ち主が皆に聞いた。
「うちやなか、うちは楠ば撮ったけん」他の子が覗き込んで言った。
「神社ば撮ったと、だいやった?」と私を見た。
「うちかも知れん・・・」と私は答えるしか無かった。
そう、神社を正面から撮ったのは私だ。
「やっぱいね」とその子は言った。
「やっぱいって何?」
「やっぱいって、わいやっけん心霊写真になったとやろうもん」とその子は断定して言った。
「そがん、そいが心霊写真てわからんた、光の加減かもしれんし」そう私は反論したが、誰も心霊写真と言って聞かなかった。
「こがんとばレポートに貼るぎなんじゃ言われるけん、こいはどかすばい」とその写真は使わないことが決まった。
「この写真どがんすっと、もっとって良かと?」と別の子が聞いて来た。
「何の写ったとやろうか、悪かとやろか?」と心配そうだ。
「どがんね、ユミ、悪かとね」そう聞かれ私は写真をよく見た。
写真の中の白い影は悪いものでは無いと思った。さっきは自分で光の加減と言ったが、明らかに人の形をしていたそれは心霊写真といえるだろう。
私は「心霊写真かどうかわからんばってん、悪か感じはせん」と言った。あくまでも自分が心霊写真を撮った事を認めたくなかったからだ。

「どがんすっぎ良かね?」と聞かれ、「わからんけん神社に持って行くぎよかとやなか?」と返事した。
何となく、神社の宮司なら何とかしてくれるのでは無いかと言う勝手な想像での発言だった。

後日、カメラの主はその写真を神社に持って行ったそうだ。
普段その神社で宮司らしき人を見かけた事は無いが、その子は偶然にも掃除に来ていた関係者に私事が出来たと言っていた。
写真を見せて、何だか判らないので納めたいと告げたところ、その関係者は、
「久しぶりに見ましたばい。時々写るとばい」と特に驚いた様子ではなく、受け取ってくれたそうだ。
その関係者が言うにはこの白い影は神社では神様のお使いだと思っているそうで、
この姿を納めると良いことが起きると言っていたそうだ。

カメラの主は「良かこつってなんちゅ!」と喜んでいたが、私は「神社にとって良か事で、うち達じゃなかと思う」と思ったが、
とても嬉しそうに話すその子には言わずに置いた。

その後良いことがあったかと言うと、そうでもない。
でも悪いことも起きなかったので、それはそれで良かったと思った。

神社に纏わる話は他にもある。

私が住んでいた町は県の外れなのだが、県堺の山には巨石信仰の名残の岩がある。
山の中の雑木林の中に幾つのも巨石が屹立していて、子どもながらに不思議に思ったものだ。

小学校の遠足と子供会の遠足、あとはつつじが沢山植わっているので、花見にと、年に数回は行く公園があるのだが、その公園の奥にその巨石がある。
ある時、それは子供会の遠足の時だったか、みっこちゃんと他数人とでその巨石まで行った。
その巨石は登ることを拒否するかのように取っ掛かりもほとんど無い岩だ。
しかし、私達は裏に回ったり、木を使ったりして何とかその岩に登ることを試みていた。

複数ある岩のどれかでも登れないかとみっこちゃんと私は隣の岩、また隣の岩と周りを見ながら探していた。
そして、やっと登れる岩を見つけたのだ。
その岩は裏側に階段になっているように石が積まれていた。
と言ってもその石もよじ登らなければいけない高さだった。
私とみっこちゃんは何とかその石を使ってやっとの思いで岩に登った。
その岩に立つと眼下に町と海が見え、景色がとても良かった。
私とみっこちゃんは他の子に教えてやろうと、周りを見渡した時、不意に下から「眺めがよかろう?」と聞こえた。
見ると、こんな山の中に不釣合いな白いシャツを着た青年が見上げていた。
私は「うん、がばい良かばい」と答えた。
するとその青年は「眺めは良かけど、登ったらいけんよ」と言った。
私とみっこちゃんはちょっと先生の様なその言い方に、素直に「はーい」と答えた。
名残惜しくもう一度景色を見てから降りようと振り返ったらその青年は既に居なかった。
上から周りを見渡しても青年どころか白いシャツも見つけ切れなかった。
「あすとんは?」とみっこちゃんに聞くと、「もうおらっさんばい」と首をかしげた。

遠くで集合の笛が聞こえたので、私達は慌てて岩を降り戻った。

後で聞いたのだが、公園の横から雑木林を抜けると気がつかないが、道路から入る場所があり、そこは「文殊さん」といってちゃんと祀られている場所だった。
周りには無いのに、なぜかそこだけに巨石があり、昔から信仰の対象になっていた場所らしかった。

それにしてもあの青年は誰だったのだろうか、異様に足が速く、あっと言う間に道路の方に抜けたのだろうか。
私とみっこちゃんは青年は人では無かったのでは無いかと結論付けた。
きっと神様の使いで、注意しに来たんだと思ったのだ。
なぜ使いで、神様ではないのかと言うと、神様は勝手に年寄りだと思っていたからだ。
見るからに若かった青年はきっと神様のお使いなんだと言う事で二人は納得したものだ。

次にその公園に行く機会があった時、私は登れる岩を探した。
しかしいくら探しても足がかりがあった岩は見つからなかった。
みっこちゃんにそれを話すと「危なかけん石ばどかさしたとやなか?」と言ったが、
私は何となく、そうじゃないと思った。

その後も何度かその場所に行ったが二度と岩に登ることは出来なかった。
公園には展望台があり、良い景色を眺める事が出来るのだが、あの岩から見た景色のほうが、もっと良かった。

来年の春に又帰省する予定だが、その公園に行くかは決めてない。
もし行く機会があればもう一度巨石を尋ねてみよう。
そして叱られるかもしれないが、岩に登ってみよう。
そこからの眺めを写真に撮れるといいなとお願いしてみよう。