碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

じいちゃんの話

私は幼い頃、祖父の事は「じいちゃん」と呼び、祖母の事は「かあちゃん」と呼んでいた。

なぜだか分からないけど、中学生になる頃までは祖母の事を「かあちゃん」と呼んでいたのだ。

かあちゃんはとても厳しい人だった。典型的な明治の女だったのだろう。

だから幼い頃はじいちゃんの方が好きだったのかもしれない。

いつもじいちゃんと一緒に寝ていた記憶がある。

じいちゃんはいつも餡子の匂いがしていた。私はじいちゃんの匂いが好きだった。

時々酒臭い時があったけど、じいちゃんと寝ると良く寝たそうだ。

 

そんなじいちゃんは私が小学校2年に上がったばっかりの頃に死んだ。

癌だった。

体調不良を訴えて、やっと病院に行き、手術をしたが、すでに手遅れだった。

腹を開け、閉じただけの手術だったと聞いている。

当時は「畳の上で死ぬ」事が普通だったため、じいちゃんは直ぐに家に帰って来た。

 

でももう一緒に寝ることは許されなかった。

最初は傷があるからと言われたが、病院から帰ったじいちゃんはみるみる衰弱していき、起き上がる事も出来なくなった。

意識が混沌とし、往診でモルヒネを打ってもらっていたそうだ。

私の名前を何度も呼ぶので、「ここにいるよ」とそばで言ってもだんだん分からなくなって行った。

私は病院に行くまでは元気だったじいちゃんが、戻ってから別人の様になってしまった事が悲しく、往診の医者が憎かった。

 

餡子の匂いがしていたじいちゃんは、風呂に入れないのと、薬のせいで、病人の匂いに変わってしまった。

 

ある日の夜寝ているとなぜだか目が覚めた。見ると枕元にじいちゃんが座っている。

トイレにでも起きたのかなと思ったが、そのころのじいちゃんはもう動くことは出来なかったはずなのに、特に不思議には思わずに、「じいちゃん、なんしよっと、便所に行くと?寝とかんでよかと」と話しかけた。

でもじいちゃんは何も言わずジッと私を見ているだけだ。子どもながらにこれはまずいと思ったのか、「じいちゃん、はよ布団にはいらんね」と手を取り引っ張った。

 

「ユミ、ユミ」と呼ばれ、はっと見ると祖母が座っている私を揺さぶっていた。

「どかんしたと、寝ぼけたとね」と聞かれ、「じいちゃんがここに居らしたけん寝るごと言いよった」と答えた。

「じいちゃんは寝とらす」と祖母に言われ見るとちゃんと布団に居た。

「寝ぼけたとやろ」と言いながら、祖母は自分の布団に私を入れて寝かしつけてくれた。

 

その一週間後にじいちゃんは死んだ。

それは突然だった。ご飯を食べ終え、テレビを見ていた時だった気がする。

祖母は隣の家に電話を借りに行き、病院と東京のおじさんたちに電話をした。(当時家には電話が無かった)

私は泣きもせず呆然としていたと思う。電話で話しながら祖母は泣いていた。私は祖母が泣くところを初めて見た。

暫くして医者と看護婦が来た。近所の人も数人来て、あっと言う間に死装束に整えられた。

私は邪魔にならない様に部屋の隅で膝を抱えている内に寝てしまったらしい。

朝になってざわめきで目が覚めた。じいちゃんを見ると、やっぱり顔に白い布をかけられていた。

もしかしたら夢だったかも知れないと思ったが現実だった。

白い布を捲って顔を見たが、ホッとしているような顔で、寝ているだけに見えた。

 

近所の人が入れ替わり立ち代り来て慌しかった。そのうち東京の父や伯父たちが来た。

私は従兄弟では一番上だったので、小さい子たちの面倒を見なければならず、何だかよくわからないままに葬式が終わった。

不思議と涙は出なかった、どうしていいかわからなかったのかも知れない。

 

火葬場に着き、最後のお別れの時、祖母はお棺にすがり泣いていた。その時でさえ涙は出なかった。

焼きあがるのを待つ間に、待ってることに飽きた従兄弟と建物の外に出た。煙突から立ち昇る黒い煙を見ていると急に涙が溢れた。

突然じいちゃんが居なくなった事が現実になって、黒い煙になって空に昇っていったんだと理解した。

 

私は従兄弟の手を引きながら空に向かってオイオイと泣いた。