碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

たまげた兄ちゃん

保育園か、小学校一年くらいの頃だったと思う。いつも一緒という訳では無かったが、近所のガキ大将と遊ぶことがあった。

そのガキ大将は同じ歳だったのだが、体が大きかったので、いつも威張っていた気がする。

近所だったが、正確には字(あざ)が違って、子供会や婦人会は別だった。

そのガキ大将のいるグループは男の子が多くて、山に基地を作ったり、川にダムを作ったり、ちょっと危険に思えるような遊びをいつもしていたので、ガキ大将は怖かったが、一緒に遊んで貰える時は嬉しかった事を覚えている。

 

いつの頃からか判らないけど、そのグループに「たまげた兄ちゃん」と呼ばれる大人の人が、一緒に遊ぶようになった。

ガキ大将だった男の子は、その「たまげた兄ちゃん」を崇拝していて、なんでも言うことを聞いていた。

「たまげた兄ちゃん」はいつも下駄を履いていて、子どもが何かすると「そりゃ魂消たばい」と言うのが口癖だったから「たまげた兄ちゃん」なんだと聞いていた。

私は祖母に、「良か大人とに子どもば引き連れて、何ば考えよっか判らんけん、一緒に遊んだら駄目ばい」と言われていた。

でも、「たまげた兄ちゃん」が来てから、そのグループの遊びはますます面白くなって行った。

山に遊びに行くときは、各自、鉈や小さい鎌や縄を持ち寄り、基地も頑丈に作るんだと、何日もかけて木の上に子どもにしては立派な基地を作った。

ガキ大将は「たまげた兄ちゃんはば、なんでん教えてくれると、良か人ばい」と自慢していた。

私は益々羨ましくなり、祖母に禁止されているにも関わらず、時々そのグループに入れて貰って遊んでいた。

 

「たまげた兄ちゃん」がいると、ガキ大将も誰かを苛める事は無かった。

「男は小まか子ば苛めたらいかん、特に女ん子には優しゅうせんば」と言われていたからだ。

勿論、そんな事は各自のじいちゃん、ばあちゃん、両親にはいつも言われている事だが、「たまげた兄ちゃん」が言われたほうが皆、素直に聞いたのだと思う。

大きい子は小さい子を面倒見て、ルールをり、統率の取れたグループで、とても楽しかったし、良い事だと思った。

しかし、周りの大人たちは違った様だ。

昼間から仕事もせず、小さい子ども相手に、山に入り、何をしているのか解らないと、警戒していた。

確かにそうだ、今だったら完全に不審者だ。

住んでいる家も、「たまげた兄ちゃん」の親も解っていたらしいが、いわゆる、よそ者だったらしい。

 

元々、ガキ大将のグループの住む部落は炭鉱町の名残りのある、長屋形式の借家が集まっている場所だった。

なので、私が住んでるほうの部落の人はその町の人をあまり良く思っていなかったようだ。

 

子どもは駄目だと言われると、益々隠れて遊ぶようになるものだ、私は幼馴染の女の子二人と遊ぶと言っては二人で後から基地に行って合流していた。

内緒事がとてもワクワクしたんだと思う。

 

そうしている内に、ある事件が起きた。

 

木の上の基地は、雨の日は頼りなく、滑って危ないため使ってはいけないというのがルールだった。

それで、雨の日は基地の近くにある防空壕跡で良く遊んだ。

防空壕跡は山の側面に掘ってあって、奥は塞がれていたが、入り口で雨宿りするくらいの広さがあった。

以前は不法投棄のゴミがあったが、皆で綺麗に掃除し、使えるようにしていた。

 

ある雨の日、その防空壕で小火騒ぎがあった。

暖を取ろうとした子どもが火を大きくしすぎて、何を燃やしたか解らないが、黒い煙があがり、村の人に見つかり、大騒ぎになった。

そこでは時々焚き火をしていたので、煙は見られていたはずだが、その日の煙は多かったらしい。

両方の部落の大人達が集まり、話し合いがあったらしい。

もともとその防空壕跡は立ち入り禁止だったらしく、そこで遊んだ事のある子どもはとても怒られた。

勿論私もちゃんとバレてて、祖母にこってり絞られた。

 

木の上の基地は壊され、防空壕跡は柵が取り付けられた。

しばらくして見に行ったら、壁に黒い煤の跡がついていて、火の大きさがわかった。

大きくはなかったが、焚き火をした子どもは少し火傷をしたと聞いた。

 

防空壕跡を見ていたらガキ大将がやってきて、「たまげた兄ちゃん」が大人たちに凄く怒られたと話してくれた。

私はその時、なぜ「たまげた兄ちゃん」が怒られなくてはいけないのか理解できなかった。

ガキ大将が言うには、大人たちは「たまげた兄ちゃん」が嫌いで、子どもに悪い遊びを教えたと決め付け、二度と子どもに近寄るなと言われたそうだ。

ガキ大将も、親に一緒に遊んだら駄目だと言われたらしい。

 

小火騒ぎが起きたとき、「たまげた兄ちゃん」はいなかったが、防空壕跡で焚き火が出来るように石を並べたのは彼の指示で、小火を起こした子どもは「たまげた兄ちゃん」の言うとおりにやったが、上手くいかず、不法投棄の何かを燃やしたら火が大きくなったと証言したらしく、そもそも子どもに火遊びを教えた「たまげた兄ちゃん」が悪いということになったらしい。

 

ガキ大将は、「あい達(あれ達:小火を起こした子ども達)は火ば使こうたらいかん子達やったとに、勝手に焚き火したけんこがんなったと」と怒っていた。

グループのルールでは年齢により火を使っていいかどうかが決まっていた。その子達は年上のメンバーが居ない時にルールを破ったのだ。

ガキ大将は悔しそうに壊された基地の残骸を見て、「基地まで壊さんでん良かとに・・・・」と言った。

もしかしたら泣いていたのかも知れない。

その後、時々散歩している風の「たまげた兄ちゃん」を見かけたが、いつも一人だった。

会えば、手を振ったりしたが、大人の目が怖くて話し掛けたりはしなかった。

 

そのうち「たまげた兄ちゃん」は村から居なくなってしまった。