碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

大雨の日に想い出す音

先日の台風に伴う大雨で、各地で大きな被害が出た。

被災された方には謹んでお悔やみ申し上げます。

 

台風といえば、私が子どもの頃住んだ町も、よく台風の直撃を受けた。

関東に来る台風とは比べ物にならない強い風が吹く。

台風の前は雨戸をしっかり閉め、飛ばない様に釘で打ちつけ、停電の準備をし、床下浸水に備え土嚢を積み、靴も仕舞う。

ほぼ毎年の事なので慣れたもんだ。

学校も直ぐ休校になる。学校は毎回グラウンドが湖の様になった。

当時(今もかも)水洗トイレではなく、汲み取り式のトイレが多い地域なので、床下浸水でも被害が大きい。

台風の後は、どこもかしこも消毒の匂いで満ちていた。

たまにテレビで、膝まで浸かって歩いている人を見たりするが、「浸水した水は汚いと」と子どもの頃のイメージが強く「うげっ」と思ってしまう。

 

家の近くには二本の川が流れていた。

一つは道路を挟んだ家の前で、幅は狭いが、かなり深いので、決壊する事は無かった。

もう一つは少しはなれていたが、田んぼの中を走る川で、広い川だった。

普段は水も多くなく、浅めのため、夏は魚とりをしたり、ダムを作って遊ぶ場所だ。

川の名前はわからないが、その広い川は雨が降ると途端に顔を変え、茶色の水が轟々と流れ、子どもの頃はとても怖かった。

 

これから書く事は、非人道的な話しだと思う。

又私の心に深い傷を残した出来事でもある。

自分でも酷い話だと思うが、心の傷と私の罪を敢えて書くことにより懺悔の意味を込めよう。

 

ある日、自分が幾つだったのかは忘れた。祖父は既に他界していたので、小学校2年生か3年生だったと思う。

その日は台風が来る前で、空は朝から雲が厚く、大粒の雨が降っていた。

川は増水し、轟々と音を立て流れていた。

 

家で遊んでいた私は、祖母に紙袋を渡され、それを広い川に捨ててくるように命じられた。

袋は動いていた。

それはみーが生んだ子猫だった。

みーがいつ生んだかは解らなかったが、生まれたばかりの様だった。

私は嫌だと言ったと思う。しかし祖母の命令は絶対だった。

私は雨の中傘をさし、紙袋を持って川に向かった。

 

袋の中で子猫が「みーみー」鳴いている。

私は川に着き、流れを見た。

こんな流れに落としたら、一瞬で死んでしまう。そう思った私は、袋をあけ、子猫を見た。

まだ目の開いていない子猫は狭い袋の中でもがいていた。袋を伝って子猫のぬくもりを感じた。

私は子猫たちが可哀想で「ごめんね、ごめんね」と泣き出してしまった。

しゃがみこみ、何とか助けられないだろうかと考えたが、ちっとも考えがつかず、ただ泣いて謝っているだけだった。

どれくらいそうしていただろう、余りにも帰りが遅い私を心配してか、祖母がやってきた。

 

泣いている私を見て祖母はため息をついて、「貸しんしゃい」と手を出した。

私はもしかしたら捨てるのを辞めてくれるのかも知れないと思い、袋を手渡したが、祖母を受け取るや否や、その袋を川に投げた。

「あ!」と袋を目で追ったが、袋は一瞬だけ流れて、直ぐに流れに飲み込まれてしまった。

祖母は「しょんなかと、沢山は飼いきれんけん」と言い、先にたって帰って行った。

私は暫く流れの中に袋を探したが、見つかるはずも無かった。

 

家に帰るとみーが子猫を探していた。

私に向かって、「にゃーにゃー」鳴き、家中を探して歩いていた。

 

祖母はその夜、いつものお経意外にも供養のお経をあげた。

私はお経をあげながら心の中で、「こんなお経をあげて何の意味があるんだ」と思っていた。

その頃からちょっとずつ、ちょっとずつ祖母の事とお経が嫌いになって行ったと思う。

 

その後もみーは何度か子どもを生んだが、気がつくと子猫は居なかった。

祖母は私には頼まず、自分で処分していたんだろう。

 

祖母の名誉の為に付け加えると、特別動物が嫌いだった訳ではない。店を営んでいる間は、結構大事にしていたと思う。

しかし、当時は避妊するという考えは無く、猫は自由に出入りしていた。よって直ぐに子どもをこさえてしまうのだ。

生まれた子猫はどこの家でもそうやって処分していた。

今では考えられないが当時はそれが普通だった。

以前、テレビで見たが、学校の先生が生まれた子猫を生徒に埋めさせて問題になった。

先生の言い分の様に、確かに昔は育てられない子猫や、子犬は飼い主の手で処分していた。

そうしないと野良猫や野良犬が増えてしまうからだ。

でも処分を子どもにやらせるのは間違っていると思う。

命は重たい。

あの生徒達も私と同じようにこれから心の傷を背負って一生生きて行く事になる。

普段忘れていても、何かの拍子に想い出すのだ。

 

私は今でも外で大雨が降っているなと思うと、いつまでも子猫を探して鳴いていたみーの声と、雨と川の音で本来は聞こえるはずの無かった、子猫の助けを求める鳴き声が聞こえる。

そして心の奥底が痛くなるのだ。