碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

虫の知らせ

虫の知らせを体験した事があるだろうか。

以前書いたじいちゃんの話は私にとって、初めての虫の知らせだったと思う。
 
私の枕元にじいちゃんが来たと言ったとき、祖母は「もう長くない」と思ったそうだ。
後日祖母に「なしておい(俺:年寄りは自分の事をおいと呼ぶ)んとこに来んやったとや」と恨み言を言われたが、出られたほうは「そがん事言われたって」と思うしかない。
 
既に書いた通り、その日を堺に祖母は私を修行させようとしたのだ。
 
その成果があったかどうかわからないが、それから大分立ち、高校生になった私は、ある日突然叔父に会いたくなった。
叔父と言っても祖母の弟なので、大叔父になる。
祖父の死後、祖母の二人いた弟たちは何かと私たち二人の面倒を見てくれた。
その中でも一番私が好きだった叔父は高校から何とか歩いて行ける距離に店舗兼自宅を構えていた。
 
私は昼休みの後、午後の授業をサボってその店に行った。
突然の訪問に叔母はどうしたのかと聞いてきたが、自分でもわからない、ただ叔父に会いたかったと答えるしかなかった。
でも残念ながら叔父はその日は不在で、明日にならないと帰らないとの事だった。
 
私は適当に時間を潰し、祖母の待つ家に帰った。
当然、叔母から連絡が入り私が学校をサボった事は祖母にバレていた。
「なして学校サボったとね!」と祖母は怒ったが、「何や判らんけど、急に叔父さんに会いとうなったと」と理由を告げると、
いつもだったらガミガミと一時間くらい続く小言も無く、「そうや、今度、そがんことのあるぎ、学校の終わってから行くごと」とだけ言われ解放された。
「怒らんて珍しかぁ」と思いながらも次の日にはすっかり忘れていた。
 

それから約一週間後に叔父は突然亡くなった。死因は脳溢血だったか心臓発作だったか忘れてしまったが、
夜連絡が入り、祖母は電話口で暫く話をしていた。
 
電話を切った祖母は、
「叔父さんのさっき死なした。折角おいが、用心するごと言うたとに、どこも悪う無かけんて病院に行かんけんが、こがん早死にする事になると」と悔しそうに言った。
「病院に行くごと言いよったと?どこか悪かったと?」と聞くと祖母は
「わい(お前)が急に会いに行ったけん、虫の知らせと思ってば、検査するごつ助言したと」と言った。
 
私は困惑した、自分が会いに行ったから叔父は死んだんじゃないかと一瞬思った。
 
勿論そうではなかった、祖母はじいちゃんが私の夢枕に立った時から、私にはそういった事を感知する力があると信じていた。
そう言われても私は信じられなかったが、祖母から「力のあっとは良か事も悪か事もあるけん、ちゃんとせんば!」とまた読経を毎日するように言われ、うんざりした事を覚えている。
 
叔父には結局会わずじまいで別れる事になった。
 
確かに小さい頃から不思議な者や怖いものを視たり聞いたりしていた。でもそれは自分だけでは無いと思っていた。
小さい頃はそういったモノを視るのはちゃんとお経を読まないからだと思っていた。
それでも年齢を重ねるごとにそういったモノは視なくなったし、だんだん聞こえなくなった。
いや、何かを視たり聞いたりしても、「気のせい」にして向き合おうとしなかったのかも知れない。
 
しかし、虫の知らせは本人の意思など関係ないことを知る。
 
私は東京に出て、祖母とは別に暮らすことになった。しかし、祖母も歳なので名古屋の叔母の所に行くことが決まっていた。
祖母が引越しをする少し前に、私の物が残っていて処分するにあたり、東京の私に電話をかけてきた。
引越しに関する話をしているときに、ふと、祖母の生家に一人で住んでいるおばさんの事を思い出した。
 
その叔母さんは祖母とは血が繋がってはいないし、祖母の旧姓とも違ったが、長く旧本家に一人で住んでいた。
本家は祖母の兄が別の場所に家を建てたので場所が変わっていたが、元々の本家は海の側なのに日の当たらないその小さい家だ。
祖母にとっては思い出の土地であり、家だったので、寺参りをする時や、潮干狩りをするときは何時も寄っていた。
その家の叔母さんの事を急に思い出し、「そういえば、金子おばさんってどかんしとらす」と聞いた。
電話の向こうで祖母は「はっ」として、「急になんね」と言いながら近いうち様子を見に行くと言ってその日は電話を切った。
 
そして次の日祖母から電話があった。
「あれから気になってくさ、今日行って来たとばい。風邪引いたて言いよらしたばってん、元気しとらした」と報告があった。
私はちょっとホッとし、なんで又急に思い出したんだろうと思ったが、「ま、元気ならいっか」と思った。
 
そう、それから一週間位して、やっぱり叔母さんは亡くなった。
 
祖母から電話を貰った私は「まさか」と言う気持ちと、「やっぱり」と言う気持ちが交差した。
金子叔母さんは風邪をこじらせ、肺炎になり亡くなったそうだ。
 
祖母は電話口で嘆いていた。
「せっかくわいから言われたとに、直ぐに見に行ったとに、毎日行けば良かったとに」と自分がちゃんと見ていれば肺炎にならなかったかも知れないと後悔していた。
私は「私に虫の知らせが来た時は、きっと、もう決まっととばい。ばあちゃんのせいじゃなか」と言うしかなかった。
それより、私は祖母が名古屋に引っ越す前に送り出すことが出来て良かったのではないかと思った。
祖母にそう言うと、少し落ち着いたのか、「そうかもしれん、わいに言われんやったぎ、引越し直前まで行かんやったろうし、ゆっくり話せんやった」と言ってくれた。
 
祖母は葬儀を仕切り、叔母さんを見送った後、名古屋に引っ越した。
 
その後、暫く「虫の知らせ」的な事は無かった。
 
祖母が名古屋の叔母の許で暮らすようになって十年以上が経ったある日、私は夢を視た。
夢の中で、祖母が何かの列に並んでいた。
私はなぜこの列に並んでいるのか問うたが、祖母は答えず、動こうとしなかった。
先を見ると、ゴールと思える所は遥か遠く霞んでいて見えない。それなのに沢山の人が並んでいた。まだまだ祖母の番までは大分あると思った。
私はなんだか怖くなって何度も「かあちゃん、かあちゃん」と祖母を呼んで、手をひっぱたが、祖母は頑として動かなかった。
 
はっ、と目が覚めた私は泣いていた。久しぶりに祖母を「かあちゃん」と呼んだ事も不思議だった。
次の日、名古屋の叔母から電話があった。
電話のディスプレイを見たとき、一瞬だけ嫌な予感がしたが、電話に出ると、祖母が最近ボケが酷くなったので、入院する事になったとの報告だった。
私はほっとして、近いうちに会いに行くことを約束した。なんとなく、直ぐにどうこうと言う気がしなかったからだ。
 
数日後、1歳半位だった娘を連れて名古屋の祖母に会いに行った。
病床での祖母は一段と小さくなり、確かにボケていた。
私の娘を見て、「ユミ、ユミ」と言い、私を叔母の名前で呼んだ。
叔母が言うには、急にボケが酷くなって、良い時と悪い時の差が激しいそうだ。私が行ったその日は悪い時だったのかもしれない。
娘を愛おしそうに撫で、「ユミは良か子たい」と言っている祖母を見て、私は涙が止まらなくなった。
 
叔母は入院時に検査をしたら癌が見つかって、今度手術をするが体力的に心配だと医者に言われた告げた。
私は先日の夢の話をした。叔母は、きっとその列はあの世に行く受付の列だと思うと言った。
しかし、その列は大分長かったと話したら、叔母は「じゃあ直ぐには死なんね」とホッとしたような、残念だと言う様なため息を吐いた。
 
それから二年近く、祖母は益々ボケが進み、病院で寝たきりになったまま亡くなった。
 
葬式の日、叔母に「本当に長かった」と言われた。毎日のように世話をしに病院に通った叔母は大変だったと思う。
「あんたん所に虫の知らせがある時は大体一週間位やったとにね、ばあさん自分がボケたもんだから、早めに教えたかったとかね」と言われた。
確かに不思議な夢で、今でもその夢の映像は覚えている。
 
ところで、当の祖母の直前の虫の知らせだが、私の所には特になかった。
が、危篤と言われ、祖母の子ども達と私は急ぎ名古屋に集まった。しかし、着いてみると祖母は持ち直していた。
肩透かしを食らった顔で叔父は「せっかく皆が集まったから葬式の段取りをしとくか」と言い、宗派の確認や、葬儀社の確認など
各自が可能な連絡先などをまとめる事にした。
 
祖母はその一週間後に亡くなった。
 
葬式の日、父は私に「ばあさん、来たか?」と聞いたが、私は2年ほど前の夢以外来ていないと伝えた。
父は一旦危篤になった事で全員を呼び出したから気が済んだのだろうと言った。
 
「虫の知らせ」それはどんな風に来るのかは解らない。出来れば二度と私の所には来ないで欲しいと思う。