碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

方言通信 Vol1

私が育った場所は九州は佐賀の片田舎だ。
どちらかと言えば長崎寄りの伊万里と言う町で私は育った。
昔は栄えたらしいが、これと言った産業も無く、観光客も来ないので、商店街もシャッター通りと化している。
商店街にあった「黒澤明サテライトスタジオ」は閉館してしまったらしい。観光の目玉になるばずだったのだが残念だ。

方言についても、「九州弁>佐賀弁>伊万里弁」と言う具合に使われる方言も地域や出身によって違っていて、同じ市内でもちょっとずつ違いがあった。
私の祖母は「山代」と言う地区の出身なので、更に狭い範囲の方言を使っていたと思う。
その祖母に育てられた私もしかりだ。

そんな方言を想い出す順に紹介していく。
これを知れば九州弁はバッチシだ。但し、狭い範囲に限られるので、応用は各自に任せることになるのであしからず。

まずは基本

代名詞や指示詞の「あれ」「それ」などは語尾が「い」になる。
「あれ」「それ」「これ」「どれ」→「あい」「そい」「こい」「どい」と行った具合だ。
ただし、感動したときや、驚いたときに使う「あれ」は「ありゃ」と言う場合がある。
又、人称代名詞も同じく「れ」が「い」になる。「おれ」→「おい」といった具合だ。

指示詞で「の」が語尾の場合も基本は「い」になるが、「ナ行」は「ん」に変わる場合が多いので注意が必要だ。

感嘆や疑問を表す場合は言葉の最後に「と」がつく事が多い。
有名なのがタモリが良く言っていた「とっとっと?」だ。「取ってるの?」の意味だ。
それ以外に「しっとーと?」や「しっとっと?」と使う。意味は「知ってるの?」だ。
「とーと?」と伸ばすのは博多弁に近い。テレビで方言女子などの紹介では必ず「すいとーと?」とやっているが、
私が居た田舎では「すいとっと?」と伸ばさず使う。
ちょっと伸ばすと同姓に「カワイコぶってる」とか博多にカブレテいると思われるので要注意だ。

否定をする場合は「ん」に変わる場合が多い。語源は古文の「ぬ」らしい。
「せん」「こん」「けん」は「せぬ」「こぬ」「けぬ」から変化したと古文の先生が言っていた。
意味ま「しない」「こない」だが、「けん」だけは他の言葉とあわせて更に強調して使う。

後、混乱するのが、「行く」と「来る」だ。
私も上京したての時はこれの使い方で混乱した。
私が住んでいた地方は、「明日はマックで待ち合わせね。10時には行くからね」と言うのを
「明日はマックで待ち合わせやっけん。10時には来っけんね」と言う。
自分が向かう事を「来る」と言うのだ。勿論相手にも使う。そして「行く」も同時に使うので、「行く」と「来る」を混在させて話す事になる。
初めて聞いた人は人称がわからなくなり混乱するらしい。

そういえば、ちょっと前に「でんでらりゅうば」と言う歌と手遊びが全国的に流行った。
NHKの子ども番組で紹介されたそれは、長崎のわらべ歌だ。
と言っても長崎に近い伊万里でも普通に歌っていたので、長崎と紹介されていて、私は「へー初めて知った」と思うとともに、「長崎だけのもんじゃなかろうもん」とちょっと思った。
何しろ田舎出身者は地元の事が絡むと途端に心が狭くなる。
郷土愛と言う名の固執だ。まぁそれは置いといて、「でんでらりゅうば」だが、この歌も「行く」と「来る」が逆の意味で使われている。

『でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん』
(出てくる事が出来るなら、出て行くけど、出ることが出来ないので、出て行かない、行く事が出来ないので、行けない、だから私は来ないよ)

こうなるともう慣れしかない、娘が「みんな意味わからないから呪文だと思ってるよ」と笑っていた。

しかし、これはあくまでも基本形だ。(と思う)
私が覚えているのは、もっと長かった。

『でんでらりゅうば、でてくるばってん、でんでられんけん、でてこられんけん、こんこられんけん、きーけられんけん、しーきられんけん、いーえられんけん、こーんこん』
だったと思う。
途中までは一緒だが、『きーけられんけん』以降は、
(行けない、出来ない、言えない、だから来ないよ)となる。
言葉遊びだけど、すべて否定になっているところが面白いと思う。
調べてみたら元は長崎の丸山町の遊女の手遊びが発祥だったらしい。だから否定的な心情を唄ったのだろう。
そう思うと、わらべ歌も奥が深い。

なんだか散らかってしまったが、方言の説明になっただろうか。
今日はここまで。
今後も思いついた時にまとめてみたいと思う。
そいぎ!(それじゃぁ)