碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

かあちゃんの若い頃の出来事とそれにまつわる話

我が家の仏壇は実はちょっと変わっていたらしい。

私が毎日お経をあげていた(あげさせられていた)頃、要は二番目のじいちゃんが入った仏壇は「浄土真宗」だった。

でも仏壇にはお位牌があった。それは前のじいちゃんの物だった。

以前は「曹洞宗」だったらしいが、あることが理由で改宗したらしい。

なので、金ピカの仏壇の真ん中に阿弥陀如来の掛け軸があって、多分、親鸞聖人の絵があって、奥に前のじいちゃんの黒塗りの位牌、手前に次のじいちゃんの派手な布の過去帳があり、並んでいた。

そして、もっと奇妙だったのが、親鸞聖人の反対側に椅子に座ったお坊さんの小さい像があった事だ。
かあちゃんの話しではこの像は曰く付きで、宗派は違うけどお奉りしなければいけないと言っていた。

 

その像の話しを書こうと思う。

 

私と祖母は確か55歳離れている。私は父の25歳の時の子で、父は祖母の30歳の時の子どもだから、単純計算で55歳と言うことになる。
30歳の時の最初の子どもというのは、明治生まれの祖母にとっては大分行き遅れだ。
そこで、なんでそんなに結婚が遅くなったのかを聞いた事があった。

祖母は結婚適齢期の頃、好きあっていた人が居たそうだ。でもその人との結婚は周囲に反対されていた。
なぜ反対されたのかは忘れてしまったが、いわゆる身分の違いと言うものだったらしい。
思い悩んだ二人はなんと駆け落ちしたそうだ。
(その話しを聞いたのは中学生ぐらいだったのだが、かなりセンセーショナルだった事を覚えている)

追っ手を恐れた二人は九州から四国まで逃げた。
しかし、相手側の追っ手に見つかり、二人は引き離され、祖母は知り合いも居ない四国で一人途方に暮れたそうだ。
これからどうしようか、いっそのこと死んでしまおうかと若い祖母は思い悩んだ。
そんなとき、旅の坊さんに声を掛けられ、家に帰る様に諭された。
その坊さんが言うには、「貴女は人を助ける事が出来る力を持っている。その術を伝授するから、これからは人を救って生きて行きなさい」と
仏壇に置いてある例の像を渡し、まじないを教えて貰ったそうだ。

 

家に戻った若き祖母はその像を実家の仏壇に置いたが、宗派が違うので、その宗派のお寺に訳を話し、置いてくるように言われた。
仕方なく祖母はその像を納めに行ったが、不思議な事に翌日その像は仏壇に戻っていたそうだ。
その像は何度か他の者が置いてきても必ず仏壇に戻って来た。困った家族はその宗派の住職に相談したそうだ。
住職は祖母の話を聞き、「あなたはその旅の僧に言われた事をしなければいけない、そしてこの像はたとえ宗派が違っても今後一生あなたの守りとして持っているように」
と言ってくれたそうだ。
それで、祖母はその後その寺で、まじないの実施方法を学び、無償で困っている人を救ったそうだ。
なぜ無償なのかと聞いた事があったが、御代を頂くと効力がなくなるからだそうだ。
私はその時、その話しを聞いて「不思議な話があるもんだ」と思った。

 

祖母は依頼があると、前の日から肉と魚を一切絶ち、患者が来る前は2時間ほど仏壇の前でお経をあげ。
そうして準備してから患者に向き合い、口に水を含んで、口の中で呪文を唱えながらその水を患部に霧状に吹きかけるのだ。
呪文は声にだしてはいけないらしい。
祖母の呪文は体の表面にある出来物や湿疹などに効いた。

 

祖母の評判は人づてに広まり、なかなか忙しくて結婚する暇が無かったというのが、祖母の言い分だったが、駆け落ちまでした人を忘れられなかったんだろうと
ロマンスに興味のある年頃だった私は勝手にそう解釈した。

 

実際私もこどもの頃はやってもらった事がある。
でも私はそのまじないが嫌いだった。それは祖母の口が臭かったからだ。
効力はあったと思う。しかし如何せんあの口臭には子どもながらに辛いと思っていた。
でもそれは言えなかったなぁ

 

祖母はそのまじないを私に伝授すると言っていた。自分の子どもにはそれを受け継ぐ力が無いのと、孫では私だけしか受け取れないからと言っていた。
そのため、精進しなければいけないと、私に毎日お経をあげるように強いたのだった。
でも私も思春期になり、学校に部活に忙しくなってからは段々とサボるようになった。
いつしか覚えていた般若心経も忘れてしまった頃、祖母は私に伝授することを諦め、誰にも伝えずに墓まで持って行くと決めた。

 

そして祖母は本当に誰にも伝授する事も無く死んだ。

 

最近になって、その像の事をある人に話しをしたら、それは弘法大師の像だと教えてくれた。
確かにそうだと思う。父に聞くと、「知らなかったのか、あれは弘法大師で、多分婆さんのまじないは密教のまじないだったと思う」と言っていた。

今あの像は多分叔父の家にあると思う。位牌などを引き取って、墓を立てたのが叔父だからだ。
父に像を貰わなかったのかと聞いたが、「あれは自分には手に余る、何も知らない叔父が持っていたほうが良いだろう」と言った。
そして、もし私がまじないを伝授されていたらあの像は私がおまつりしなければいけなかったが、それと同時に重荷も背負った事になっただろう、と言った。
叔父たちは私がまじないを受け継ぐと思って、受け継いでいないと知った時残念がったが、父は反対だったらしい。
どっちが良かったのは今では判らないが、奇しくも近年、弘法大師に縁が出来てしまった私は、今更になって祖母の言葉を思い出す。