碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

やってはいけないと言われていることをやった結末・・こっくりさん3

宿泊所に着き、二泊三日の研修が始まった。
研修と言ってもメインは九重山への登山が最大の目的だったと思う。
もちろん他にも何か研修があったが全然覚えていない。

一日目の夜。部屋は四人から六人部屋だった。夕食後だったか、風呂の後だったか忘れたが、消灯までの時間に
女子が集まり、おしゃべりしたり、写真を撮ったりしていた。

二段ベットに群がり、ポーズを取ったりして交代で写真を撮った。
カメラを構えていたある子が「撮るよ~はい、YMCA」と言って撮った直後「キャー!」と悲鳴を上げた。
「どうした?」と聞くと、フラッシュを焚いた時窓の外に何か居たと言うのだ。

皆慌てて窓に駆け寄った。カーテンが半分くらい開いて、外が見えていたが、既に外は真っ暗だ。
叫び声をあげた子が、「窓ガラスに手をついて中を覗いていた」と説明したが、窓に手の跡とかはなく、勿論誰もいなかった。

そもそもベランダなどは無く、窓にタオルを干すくらいの手すりがあるだけで、人が立てる幅はない。
周りや上下を見渡しても誰かがいたような形跡がないため、みなぞっとして顔を見合わせた。

「見間違いやなかと?誰かの影の反射したととかさ」と誰かが言ったが、そのこは絶対に違うと言い張った。
上の階の男子のいたずらではないかと言う子も居たが、階下に外から身を乗り出しても窓に手を付く位まで降りるのは無理だ。
なぜなら、その建物は玄関側は駐車場もあり、平坦だが、裏側は石垣の上で、一段高くなっている。下は木が鬱蒼とした森だ。
どんな配置だったかは忘れたが私達の部屋は裏側に面していて、二階か三階だった。

男子の部屋は更にその上なので、ロープで窓から吊り下げないと無理だ。

そんな大掛かりないたずらをするとは思えない。

やはり幽霊なんじゃないかとなった。
今と違って、撮った写真を直ぐに確認できない。
一人が私に聞いた。「なんとおもう?幽霊?」そう聞かれても困るのだが、頭の中の声は『地縛霊』と教えてくれた。
それを伝えると、皆益々おびえ、半分喜び、「きゃー、どがんするぎよか?」と更に聞いて来た。
声は『入っては来ない』と教えてくれた。

又、『話をすると寄って来る』とも言われたので、皆に伝えた。

「ユミのおって良かった」と誰かが言った。「ユミのおっけん来らしたとやなか?」と言う子も居た。
私はなんとなく自分が居るから来たのでは無いかと思ったので申し訳ない気持ちになった。

 

当然この事は直ぐに広まった。

噂とはいい加減なもので、帰る頃には霊を呼んだのは私のせいになっていた。
別のクラスの子が「幽霊ば呼んだよやろ、凄かね~」と耳打ちして来た。
「そがん事しとらん、写真ば撮った子が呼んだとかも知れんし、元々のとが偶々来たとかも知れんし」と反論したが、
「またまた、良かて、隠さんで」と意味深な笑顔で去って行った。

帰りのバスで、行きに信号当てをした男子が「わい、幽霊も呼びゆっとか、そいぎ、UFOも呼びゆっとやなかか?」と言って来た。
幽霊とUFOは全然違うだろうと思ったけど、面白ければ何でも良いと思っている男子には通用しない。
男子は勝手に色々言っていたが、仕舞いには「こいになんじゃすっぎ祟られるぞ」とまで言われた。

私は祖母の言葉を思い出した。こんな力は人に見せびらかす物では無いのだ。
私はちやほやされたかったのかもしれない。
その日以降、誰かに探し物を聞かれたとしても「もうおらっさんけん判らん」と言ってやり過ごすことにした。
「本当におらんごとなったと?」と幼馴染のみっこちゃんにも聞かれたが、みっこちゃんはおしゃべりだ。
だから私はみっこちゃんにも「うん、おらっさん」と嘘を吐いた。

コックリさんも流行らなくなり、皆の関心も薄れていった。なにしろ中学生の流行はあっという間だ。


私は時々声と無言で会話をした。寂しい時や哀しいときは慰めになった。
嬉しいときは一緒に喜んでくれた。
時には叱ってくれる時もあった。

結果私は声の正体を掴みきれないまま、それから3年ほどその声と過ごすことになる。
それは良い時もあれば、鬱陶しく思う時もあり、又、自分は頭がおかしくなったんじゃ無いかと思う時もあった。


高校生になった時、ある晴れた何でも無い日、声は言って来た。
『もう行く』
私は何の事かわからなかった。考えてみれば声を聞くのは久しぶりだった。
「行くってどこへ」そう聞きなおしたが返事は無かった。
その代わり、頭の中の一部が急に軽くなったような、霞が晴れた様な気がした。
私は「ああ、本当に居なくなった」と悟った。
途端に寂しくなり、心細くなった。頭の中で幾ら声を掛けても無駄だった。

今でもあれは一体なんだったのだろう思う。
きっと、多くの人は、思春期のアンバランスな心が生み出したものじゃないかと言うだろう。
それか、何かにとり憑かれていたのではと思ってくれる人も居るかもしれない。
でも、自分では憑かれたというより、誰かが側にいてくれたと言う感覚だった。

発端はコックリさんだった。
勿論あれ以来私は二度とコックリさんをしていない。

私の場合は悪いものでは無かったが、どんな物が来るのか分からないのだ。
世界中にコックリさんの様なものがあるが、どうなるのか試してみてとは絶対に言わない。

やってはいけないと言われている事は、やっぱり、やってはいけないのだ。