碧い鱗

青が好きです。魚の体を覆っている鱗の様に今の私を形成している想いでや出来事をチラチラと散りばめて書こうかと・・・

一番古い記憶

人は何歳から記憶があるのだろう。

写真が残っていない日常の生活のなかでの私の一番古い記憶は、多分3歳位の頃だと思う。

親の離婚に伴い、1歳か2歳になる前に田舎の父方の祖父母のもとに預けられた。

祖母は父の母だったが、祖父は祖母の再婚した相手だった。それでも祖父には随分と可愛がってもらった。

ある時、祖父とご飯を食べているとき、私はちゃぶ台(冬は炬燵)の下にいる飼い猫の「みー」にちょっかいを出していた。

饅頭屋を営んでいた祖父母はネズミ避けに猫を飼っていたのだが、その猫は私にちっとも懐いてくれなかった。

猫は大体が子どもが嫌いだ。そんな事も知らずに、私は猫と仲良くなりたかったからか、懐かない猫に意地悪をしたかったのか、しきりにちゃぶ台の下の猫に手を出していた。そのうち猫の辛抱が切れて、みーは私の手を引っ掻いてしまった。

「うわーん、みーがひっかいた」と泣き出した私に驚いた祖父は、すぐさまちゃぶ台の下から猫の首根っこを掴んで引っ張り出し、バシバシと叩いた。

 

凄い剣幕で怒っている祖父を見て、私は言えなかった。「本当は私が悪かった。」と・・・

ひとしきり叩かれて開放された猫は、部屋から飛び出し、振り返ってこっちを見た。

何て言いたかったのだろう。言葉が話せればきっと「お前のせいだ」と言っただろう。

「ごめんねみー」心の中でそう思ったが、自分が怒られてしまうと思ったのか言えなかった。

それ以来みーは二度と私のそばには寄り付かなかった。

 

その時のみーの色も顔も泣き声も覚えていない。祖父の言葉も覚えていない。

ただ自分のしたことと、その時感じた罪悪感と後悔だけを覚えている。

思い出すと今でも心の奥底がキュッとなる。

 

その次に古い記憶は、村のお地蔵さんのお祭りだ。

夏のお盆過ぎだっただろうか、点在するお地蔵さんを巡ってお参りし、子どもはお菓子を貰って歩くお祭りだ。(本当は違う意味のお祭りかもしれないが)

お祭りを仕切るのは子どもで、近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんがお堂を提灯で飾り、お菓子を用意してお堂で待っていてくれる。

私は小さい蝋燭を灯した提灯を持ち、浴衣を着てお堂までの畦道を祖母に手を引かれて一緒に歩いた事を覚えている。

勿論、懐中電灯を持っていても良いのだが、確か提灯を一つ持つことがルールだったような気がする。

 

いつもは近くに見えるお堂も、夜の真っ暗な中で見ると明かりがついているのに、随分遠くに感じたものだった。

畦道は蛇が出そうで怖かった。お堂に明かりがついている分、お堂の裏の森や山が真っ黒で、ざわざわと動いて化け物みたいで怖かった。

それでも空には満天の星と青白い月が見える。

その時の恐怖感と安堵感を今でも鼻の奥で覚えている。

 

あのお祭りは今でもやっているのだろうか、今思えば肝試しも兼ねていたのだろう。

私が中学生の時もやっていたはずなのにその頃のお祭りの記憶は無い。

思春期になって他にも沢山楽しい事や辛い事があった為か、村の子どものお祭りは興味が無かったのだろう。

今でもあの暗闇はそこに存在しているのだろうか・・・・